相沢友子は19歳でソニーからCDデビュー!大学には行っていない!

スポンサーリンク
※アフィリエイト広告を利用しています

ドラマ「セクシー田中さん」の脚本を書かれた相沢友子さん。

これまでに数々の人気ドラマで脚本をされている人気脚本家です。

そんな相沢さんですが、キャリアのスタートは歌手からだったそうです。

そこで、今回は相沢友子さんの歌手時代について詳しくまとめていきたいと思います。

スポンサーリンク
目次

相沢友子のプロフィール

名前相沢友子(あいざわ ともこ)
生年月日1971年5月10日
年齢53歳(2024年1月現在)
出身地東京都
血液型B型
職業脚本家、小説家、作詞家、作曲家、歌手、女優
スポンサーリンク

相沢友子は歌手だった!

実は、キャリアスタートは歌手からだった相沢友子さん。

高校在学中に文化放送でコンサートリポーターを務め、作詞活動をしていたところ、

ソニーミュージックのスタッフに歌手デビューを勧められ、1991年に19歳で歌手デビュー

1991年3月から1996年3月までの約5年間活動をされていました。

1991年3月にシングル「Discolor days」でデビュー。
・1996年3月にシングル「僕のせいじゃない」をリリースした後、歌手活動を休止。

歌手活動期間中にリリースした主な作品

【シングル】

  • Discolor Days(1991年3月21日)
  • サヨナラ(1992年1月22日)
  • Thanks(1994年7月21日)
  • 女の子たち(1994年10月1日)
  • カラッポの記念日(1995年1月21日、TBSとっても母娘』主題歌)
  • 僕のせいじゃない(1996年3月21日)

【アルバム】

  • 部屋のない扉(1991年3月21日)
  • アスベストの海の中を(1992年2月21日)
  • 胸の音(1994年8月21日)
  • 安心毛布(1996年6月21日)

【画像】シングル

【画像】アルバム

相沢さんは19歳でCDデビューされているので、大学には進学されていないようです。

フリー後の華麗な転身!

相沢友子さんは長らく歌手と女優の兼業だったそうですが、

1996年にソニーとホリプロとの契約を解消。その後フリーとなっています。

フリー直後に、ホリプロ時代のマネージャーに勧められたことがきっかけで、

小説『COVER』を執筆し、1999年に第15回太宰治賞入選されています。

相沢さんは歌手時代から歌詞を書かれていたこともあり、

それまで積み重ねてこられた経験が開花したんでしょうね。

相沢友子さんの結婚相手に関する記事はこちら↓

まとめ

今回は、相沢友子さんの歌手時代についてまとめていきました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次